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札幌高等裁判所 昭和49年(う)265号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人岩城弘侑提出の控訴趣意書(当審第一回公判調書中弁護人の釈明部分を含む。)に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用し、当裁判所はこれに対しつぎのように判断する。

論旨は要するに、原判決は、本件事故が被告人の前方注視義務および安全確認義務懈怠の過失に基因するものである旨認定するが、被告人は、本件当時前方に対する注視および安全確認を尽していたものであつて、なんらこれに欠けるところはなく、しかも、本件の場合、被害者側の信号は、計算上同人らが横断を開始した直後青色点滅に変つたものと認められるから、同横断歩道の長さ(約31.6米)をも考慮すれば、同人らは当然右横断を断念し元の歩道上に戻るべきであつたのである。青色信号に従い発進した被告人としては、本件被害者らのように、横断開始直後青色点滅信号に変つたにもかかわらずこれを無視し、しかも飲酒酩酊していたため通常より遅い歩行速度で、あえて横断を続行する歩行者のありうることまで予測して前方を注視し低速度で運転する義務はないから、本件には信頼の原則が適用されるべきであり、したがつて、被告人に対し前記のような過失の存在を肯認した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認、法令解釈適用の誤がある、というのである。

そこで、記録および証拠物を精査し検討するのに、関係証拠を総合すれば、次のような事実を認めることができる。

すなわち、被告人は、昭和四九年四月二日午後八時五五分頃、普通乗用自動車(タクシー)を運転し、札幌市中央区南四条西五丁目先道路を東方から西方に向け進行して本件交差点にさしかかつた。同交差点は、東西に通ずる車道幅員31.6米(その中央には幅員四米の市電軌道が、車道の両側には幅約6.2米の歩道がある。)のアスファルト舗装の道路通称南四条通りが、南北に通ずる車道幅員一二米(その両側には2.5米ないし3.5米の歩道がある。)のアスファルト舗装の道路、通称西五丁目通り(南行き一方通行)と直角に交差する十字路交差点である。そして、同交差点の各出入口付近車道上には、それぞれ横断歩道が設置され、その旨の道路標示があるほか、車両用および歩行者用の各自動信号機がそれぞれ所定の位置に設置され、本件当時正常に作動していた。被告人は、南四条通りを西進し本件交差点にさしかかつたところ、対面信号が赤色を示していたので、同交差点手前にある横断歩道直前の中央寄り(電車軌道寄り)付近に一時停車して信号待ちをしたうえ、同信号が青色に変ると同時に発進加速し、毎時約二〇粁位の速度で同交差点出口付近横断歩道(長さ約31.6米、以下本件横断歩道ともいう。)の手前近くに至つた際、道路中央より若干自車進路上に入つた付近の本件横断歩道上を右方から左方に向つて南進歩行中の原判示被害者両名を発見し急停止の措置をとつたが及ばず、右発進地点から約28.7米、電車軌道南端から約2.1米自車線側に入つた本件横断歩道上において、右両名に自車右前部付近を衝突させ、同人らに原判示の各傷害を負わせるに至つたものである。一方、被害者両名は、本件事故直前若干酩酊状態のまま、本件横断歩道北側から歩行者用信号の青色に従つて横断を開始し途中まで渡つたところ、同信号が青色点滅に変つたのに気付いたがそのまま横断を続行し、右衝突地点付近まで至つた際本件事故に遭遇したものである。なお、本件交差点の南四条通り北側付近はビルや商店がたち並びその照明等でかなり明るく、これに対し同南側は建築中のビルや駐車場等が存在し、北側に比べれば若干暗いけれども、同所付近は札幌市有数の繁華街に位置し人車の通行量も多いため、その通行車両の照明等もあつて、被告人車の停止位置から本件横断歩道上の歩行者の存否、歩行状況等を確認するのに格別の支障はなく、また、当時これを妨げるような物理的障害物も存在せず、小雨模様の天候も運転上特段の支障となるほどのものではなかつた。

以上の各事実が明らかに認められ、記録中右認定に反する証拠は措信できず、他にこれを左右するに足りる証拠は存しない。

そこで、以上の事実関係をもとに被告人の過失の有無を検討する。

まず、被告人側の信号が青色に変つた直後における本件横断歩道上の歩行者の存否の可能性についてみると、司法巡査作成の「信号の現示と事故状況について」と題する書面によれば、本件横断歩道の歩行者用信号は、青色三九秒、青色点滅四秒、赤色五七秒の周期でこれを表示し、被告人側の車両用信号は、右歩行者用信号が赤色に変つてから四秒後に青色を表示すること、すなわち、被害者側信号が青色点滅を表示してから八秒後に被告人側信号が青色に変ることが認められるところ、横断歩行者の通常の歩行速度を秒速約1.5米とすると(交通事件執務提要三〇五頁参照。)、歩行者は右八秒の間に約一二米歩行することになるが、本件横断歩道の長さは前記のとおり31.6米であるから、歩行者がたとえ青色信号で横断を開始しても途中で青色点滅信号に変つたとき、渡り終るまでにいまだ一二米以上の距離を残している場合、当該歩行者は被告人側の信号が青色に変つた時点において、依然歩道上に残存していることになる。道路交通法施行令二条は、歩行者用信号が青色点滅を表示したとき、横断中の歩行者は「すみやかに、その横断を終えるか、又は横断をやめて引き返さなければならない。」旨規定するが、本件横断歩道の長さに徴すると、たとえ歩行者が右規定に従つてすみやかに行動するとしても、右残存者がでることは否定し難く、とくに本件交差点付近は前記のとおり札幌市内でも有数の繁華街「すすきの」に位置し、多数の歩行者が存在するばかりか、本件当時はその時刻からいつて歩行速度の遅い酩酊者も少なくないので、右のような残存歩行者がでる蓋然性は一層高いものといわねばならない。

してみると、本件のような道路、交通状況のもとにおいて、対面信号が青色に変つた直後ただちに発進する自動車運転者としては、特段の事情のないかぎり、これと交差する本件横断歩道上にいまだ歩行者が残存し、なお横断を続行している可能性があることは十分に予測できたものとみるのが相当であつて、特段の事情を認めえない本件の場合、被告人に対しても右の予測可能性を肯定するになんらの妨げはない。

そして、以上のごとく、被告人が本件交差点を通過するに際し、本件横断歩道上にいまだ横断中の歩行者が残存していることが予測できる場合においては、当該横断歩道により自車の前方を横断しようとする歩行者のいないことが明らかな場合とはいいえないから、たとえ、被告人が青色信号に従つて発進し本件交差点に進入したとしても、本件横断歩道の直前で停止できるような安全な速度で進行すべきことはもとより、同横断歩道により自車の前方を横断し、または横断しようとする歩行者があるときは、その直前で一時停止してその通行を妨害しないようにして歩行者を優先させなければならない(道路交通法三八条一項なお同法三六条四項参照)のであつて、被告人としては、いつでもこれに対処しうるよう、本件被害者らのような横断歩行者との接触の危険性をも十分予測して前方左右を注視し、交通の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があつたというべきである。

そこで、さらに被告人が右の注意義務を尽したか否かの点につき検討すると、被害者両名が本件横断を開始した際の歩行者用信号が青色を表示していたものと認められることは既にみたとおりであつて、右青色信号が青色点滅信号に変つたのち被告人側の対面信号が青色に変るまでは叙上のとおり八秒を要するから、被告人が対面信号の青色に従つて発進した際、同人らは、少くとも八秒以上の間既に横断を継続していることになり、計算上本件横断歩道の中間にある電車軌道若しくはその若干手前付近に至つていたものとみることができる(右認定は、被告人車が青色信号に従つて時速約二〇粁で本件衝突地点まで到達するに要する時間と、右所要時間で被害者らが本件衝突地点まで到達しうる距離とを対比しても大差はないものとして是認することができる。)。

そして、被告人が発進する際における被害者両名の歩行位置が右のとおりであるとすれば、叙上のような本件交差点付近の見とおし状況にてらして、被告人が前方に対する注視を尽してその安全確認さえ怠らなければ、発進時もしくはその直後に被害者らを発見してその直前で停止する等の措置を講じ、本件事故を回避することは極めて容易であつたということができるのであつて、本件被害者らを至近距離に至るまで発見しえなかつた被告人に、前方に対する注視および安全確認義務の懈怠があつたことは明らかであるといわねばならない。

〈中略〉

以上の次第であるから、被告人においていわゆる信頼の原則を援用して被告人の過失を免れうる余地はなく、被告人に対し前記過失の存在を認めた原判決の判断は正当であり、原判決には所論のような事実誤認、法令解釈適用の誤は存しない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は同法一八一条一項本文によりその全部を被告人に負担させることとし、主文のとおり判決をする。

(粕谷俊治 横田安弘 宮嶋英世)

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